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初めまして

女性が自由に生きれるように、勇気を届けたい。

Sakeと申します。ギリギリ20代女性。人生波乱万丈色々ありまして、ただいまアメリカで学生をしています。日々のできごとから、女性の幸せまでアラサー女子のリアルを記していきます。

  • 日本の進学校で勉強していたら、鬱病を発症し死にかける
  • なんだかんだ治り、まあまあな大学の国際系学部に入学
  • 休学してオーストラリアでワーホリを1年間 日本に帰国後大学を卒業し、就職
  • 3年後仕事をやめ、オーストラリアの専門学校でITを勉強
  • かくかくしかじかで辞めてアメリカのカレッジでITのアソシエイト目指して勉強中←NOW!!

趣味:ゲーム、飲酒、人と会うこと、NETFLIX 

モットー:人生一回きり、男は信じるな、風を感じろ

性格:ムーディー、変人、へべれけ

コンセプト:鬱病・中学受験・大学・留学・ワーホリ・商社勤め・恋愛・プログラミング等色々な経験を元に、女性でもアラサーでも何歳でも何でも挑戦していいのだという勇気を世界のだれかに届けられたらいいな。女性がもっと自由に、人生を満喫できるように。

アメリカから羽田空港へ(7月)

7月1日発、7月2日着でアメリカのLAXから羽田空港へと帰国した経路をつづりたいと思う。自身が飛行機に乗る前に色々と空港の現状を調べていたが、なかなか最近の情報が見つからなかったので、誰かの役に立つかもしれないと思い、飛行機の中から、空港での流れを述べていく。空港や航空会社や到着時間によってかなり違うとは思うが、DELTAのロサンゼルスからシアトル国内便+シアトルから羽田空港国際便について述べる。

ロサンゼルス空港

ロサンゼルス空港朝7時発の便なので、5時過ぎころに到着。デルタから散々メールが来ていて、特定のターミナルに来るように指示があったためそこへ向かう。荷物をチェックインする流れは普段と変わらず。マスクを着用していないと中には入れない。筆者はゴム製のグローブをしていったが、見る限り周りでグローブをしている人はいなかった。空港の中へ入る流れも普段と変わらず。並ぶ列は6フィート離れる印が床についていて、列が長蛇になりがちなようだった。中に入ると店は数店しか空いておらず、空いているカフェにはまたも長蛇の列。デルタのメールにもあったが、航空機内での食事等のサービスが限られているようなので、搭乗前に飲み物やサンドイッチを買っていく人が多かった。

国内便内

搭乗した国内便では左右3列ずつの座席に2人ずつ配置されていた。窓側、通路側に1人ずつだ。左右の通路側は正直かなり席が近く感じた。搭乗時に消毒用のウェットティッシュが一人一つ配られた。フライト中は何も配られることなく3時間経過。

シアトル空港

シアトル空港もロサンゼルス空港と同じように、多くの店が閉まっていて、空いている場所に人が集まるといった感じであった。お店も最小限の人数で回しているのか、時間がかかるようだったので、飲食物を購入する場合は早めに並んだ方がよい。駐在の日本人たちが多く帰国するようで、同じ便には日本人ファミリーが何家族もいた。赤ん坊や子供も多くいて、子供たちは6フィートなど関係なく走り回っていた。搭乗ゲートの付近の待ち用の座席は誰も隣通しには座らず、必ず1、2席は空けて座っており、そのため到着するのが遅れると皆立っていた。搭乗時にはかなり少人数ずつ、「〇列から〇列の人から」と5列ごとくらいの間隔で搭乗した。混まないようにだろう。

国際線

搭乗時にまたも消毒用のウェットティッシュを配られた。座席は2,4,2に分かれていて、2席には1人、4席にも見た限り1人または家族が並んでいたようだ。かなり空いていて、4席部分に席をとっている人は4席使って寝ている人もいて、とても快適そうであった。機内食は2度、そしてクッキーが3,4度ほど配られた。機内食1食目はサーモン、チキン、パスタの中から選べた。サーモンを選んだら、サーモン+白米と少々の野菜、そしてサラダが配られた。2食目はバーガーの肉なしのようなパンにチーズだけ挟まれたものとフルーツが配られた。普段の機内食より少なく感じた(フライト中ずっとお腹がなっていたので多分少ない)ので、フライトに乗る前に軽食を買っておくべきだったと後悔。頻繁にゴミ回収がきて、飲み物を渡され、オレンジジュースが配られ、と衛生面や健康面に気を使っているように思えた。トイレ内にも消毒用のウェットティッシュが置いてあった。そして、搭乗後すぐに日本の空港での検査の書類を渡された。

書類

写真を撮っておけば細かく記せたのだが、簡単にいうと検査の流れ、健康面のアンケート、隔離期間注意点や厚生労働省のLINE登録のお願い等が記されていた。隔離場所の住所や、連絡先、体調面について記す必要があり、この書類をもとに空港に到着してからの検査が行われていき、最後の最後まで必要な、超重要書類である。

羽田空港到着後の流れ

  • 7月2日14:20羽田空港到着
  • 14:20-15:20機内待機(検疫の準備待ち)
  • 15:40 書類確認(子供がいる家族や助けが必要な人から順なのでここも待ち)
  • 16:30 PCR検査(書類確認後、廊下に4か所検査ルームがあり、書類確認が終わった人から順番に検査)
  • 17:10 検査結果を待つ流れを一人ずつ聞く(自宅待機、ホテル待機、空港待機組にわけていく)
  • 20:30 夕飯のお弁当と飲み物が配られる
  • 22:00 検査結果発表が一組ずつ始まる
  • 22:30 筆者の検査結果知る
  • 24:40 ハイヤーに拾われ、空港を去る

機内待機

普段ならば、シートベルトの着用サインが消えるとすぐに立ち上がって手荷物を整えて降りる準備をするだろうが、すぐに降りることにはならない。皆通路で降りるのを待っていたがアナウンスで「検疫の準備をしているので、座席に座ってお待ちください」との知らせ。それでも立って待っている人がいたので「長い時間がかかると予想されるので、座ってお待ちください」と再度。乗務員がチーズや飲み物を配り、トイレの使用もでき、フライト内の有料のインターネットは使えるようだった。ただ、空港のインターネットはまだ使えないので、課金をするかシムカードの準備がないとどこにも連絡はできない。1時間ほどたつとアナウンスで検疫の準備ができたことがわかり、前の席の人から順番に降りて行った。

書類確認

降機後、開けた部屋のような場所に通され、椅子やトイレや充電器へのアクセスもある場所で再度待機。子供や助けが必要な人から順番に、機内で記入した書類の不備がないかどうかの確認がされた。通された部屋が夕日が直射日光であたり、エアコンがないのかかなり暑く、自販機もないので辛かった。

PCR検査

書類確認が終わると、矢印にそって進み、廊下にある小さなブースで検査が行われた。4つあり、順番に入っていく。マスクを口につけたまま、鼻に綿棒を突き刺す。周りの人はみな激痛がしたと言っていたが、筆者は全然痛くなかった。検査自体は1分ほどで終わる。

検査結果の流れをきく

検査後、流れに沿ってまた次の部屋に通され、長蛇の列に並んで、スタッフの人からの説明の順番を待つ。皆疲れているようで、6フィート離れている人などほとんどいなかった。説明では、隔離先の住所や、LINE登録について説明された。ここで、隔離先が自宅の場合は検査結果を待たずに入国審査に行けるようだ。そして、今回筆者が搭乗した便が14時着、検査結果が当日になるか翌日になるか際どいケースだったらしく、スタッフの人から①国の用意しているホテルで検査結果を待つ②空港内で待つ という選択肢をもらった。これが、国の用意しているホテルで待つ場合は検査結果が2,3日で知らされるらしく、空港内の場合は結果が出次第すぐに教えてもらえるというもの。筆者はホテルも予約してあるし、一刻も早く空港を去ってのんびりしたかったので空港で待つことを決意。そしてその後後悔。

検査結果待ち時間(地獄)

通された部屋に、大勢の人がいたので、皆空港で検査結果を待つのかと思っていたら、85%ほどの人がホテルを選んでいたようで、バスの迎えがきた際に大勢の人が去った。バスはかなり本数が少ないよう。まず、待ち始めて多くの人が困っていたのが、自販機へのアクセスがなく、自販機に行くのにスタッフの人から許可を貰った時間に限られた人だけ行けるというなかなかのハードプレイ。日本語のわからない人に教えてあげて、遠くにある自販機まで買いにいく。小銭を持っている人が少ないのか、すぐにお釣り切れになるので注意。隣にお菓子の自販機があり、空腹で死にそうだった筆者は歓喜した。部屋へ戻るのも皆まとまって戻る。充電ステーションが多くあるので、携帯やパソコンの充電はもちろん、携帯ゲーム機を持っていればかなり重宝する時間であった。数便の乗客がまとまって同じ部屋にいるようで、先についた便の検査結果から順に出ていく。20時頃に夕食のお弁当が飲み物と一緒に配給され、別室に移動して食べた。21時を過ぎると、スタッフの人が順にスーツケースを持ってきてくれ、あとは検査結果待ちに。部屋には30人ほどいただろうか、とうとう22時頃に検査結果が出たので、一組ずつ発表が始まった。この検査結果の順番でこの後かなり痛い目にあった。かなり後の方に結果をきいたため、頼んでいたハイヤーが他の人を先に運んでいったため、2時間ハイヤーを待つハメに。検査結果が出た後、夜遅いからだろうが、スタッフの人が各グループが空港を出る方法があるかどうか確かめていた。ハイヤーに電話して確実にピックアップされるように念を押された。もしかしたら移動手段がない人はそこからホテルに移動になるのかもしれない。検査結果を待っていた部屋からスーツケースを持って入国審査まで向かう。ほとんどのゲートが閉じており、検査結果待ちの人のために数名スタッフが残っているようであった。

以上がアメリカから羽田空港までの流れになる。筆記用具、充電器、飲食物、日本の現金、時間をつぶすものが必須である。到着便が遅くホテルの選択肢があるのなら、ホテルにしたほうが心身休めると思う。空港で待つのは、その日にわからない可能性もあるうえ、待ち時間にコロナにかかる可能性もあるので、よほどその後の予定がしっかりしていない限りあまりお勧めしない。メンタルも身体的にもかなりハードであったので、この情報が少しでも誰かの役に立てばと思い記した。

いや、何より今帰らないのが一番良いかなと・・・。

女性の生きにくさ

日本で女性として産まれて

以前にも述べたが、筆者は海外に出るときに、女なのだから日本に帰ってきて、いい旦那を見つけて両親に近くに住まないといけないという時代錯誤のアドバイス(もはや命令)を受け、大声で泣いたことがある。女性は行動が限られる、女性らしさを求められることの辛さを述べた。今回は性犯罪について少し述べようと思う。

セクハラ

筆者は男性の友人が多く、数人の男性が下ネタを連発している中で一人女性として中に混じることがよくあundefinedる。笑ってしまうようなものも多いが、ときたま「それは女の人が聞いたら憤慨する内容だな・・。」と思うものもある。彼らの恋人や奥さんに言ったら多分大問題になるような内容も含まれる。
もちろん友人の中であり、彼らの恋人や奥さんは私の友人ではないので、波風たてることなく会話が終わるのを待つ。時間が経つうちに、彼らがある一定のボーダーラインを超えると私が完全にキレているのを察し、気が付けばある程度の内容で留めるようになっていた。私としてはありがたいが、私がいない中では彼らは男同士でそんな会話をよくしているのだなと思う。そこで思うのが、男性が思う「面白い」下ネタと女性が思う「面白い」下ネタは完全に一致することはない。なぜなら「性」に対する立場があまりにも違うケースが多いからだ。

「性」

男性は、女性の体のどのパーツに対しても性的に見る人がいて、ポルノや二次元ポルノの種類も尋常ではない。内容は過度な性行為や支配欲が現れているものも多く、犯罪のものや、人間が相手ではないもの、実際にすれば女性の体が傷ついたり、体調不良になったり、障害が残るようなものも数多くある。対象が幼児という犯罪者向けのものまで出回っている。
「創作物であり、イマジナリーであり、実際のものではないから問題はない、性癖の一部であり自分の好きなものに対して、他者からとやかく言われる筋合いはない。それで自分の体に性的興奮という、生き物として自然な現象が起きるから、それはただの通常の趣味嗜好の範囲なのだ。」という甚だしい社会不適合で、危険分子極まりない勘違いが繰り広げられる。
誰が実際に犯罪に手を染め、誰が嗜好で留めるかは全くもって予想できない。例えばグロテスクで残忍な人殺しの映画を見て「こういうグロテスクなものが好き」という人と「人を傷つける性行為のポルノが好き」という人は同じだろうか?人を殺すという行為は決して体からあふれる欲望ではなく、理性で留めることができるundefined行為である。しかし性行為の趣味は衝動的であり、人間の三大欲求に一つ。常に人が隠し持っている欲望である。その欲望の対象が人権のないもの、犯罪であれば犯罪者予備軍として問題視されて当然ではなかろうか。性欲の対象が幼児の友人に、自分の大切な子供を預けられるか?無理だろう。

女性にとって「性」を考えるときに、何よりも一番に考えるのは護身である。男性とは違い、間違いを犯してしまったときに子供を授かってしまうのは、紛れもなく女性のみである。男性の思う「彼女に妊娠してほしくない」気持ちと女性の「妊娠したくない」気持ちは次元の違うものである。金銭的に、体裁的に、等が理由の男性と、命をかける行いをしたくない、準備できていない女性の思いと一緒なはずはない。死ぬ可能性があるのは女性だからだ。
女性ももちろん性的興奮をするが、男性の体が再起不能になったり、障害が残ったりするような嗜好は少ないであろう。なぜなら、女性の性とは、子を授かることが根本にあり、ただ幾人に射精すればよい男性とは違い、それを受け入れる=男性・女性自身が健康であることが第一前提であるからだ。

安心安全な日本は神話

日本で暮らしている際に、女性ならわかるであろうが、安心安全な日本など神話であると感じる。盗撮が多いために、日本のスマートフォンは撮影の際に音がなるようになっていたり、女性専用車両がないと電車に乗れない女性がいる。女子トイレに入ってくる男性がいたり、少しでも露出した服を着ていれば体を触っていいと思われ、レイプされても被害者に非があるという叩かれる。美人でないと、セクハラに合うはずがないと決めつけられて恰好の餌食にされる上に泣き寝入りを強要される。
避妊具を使う女は何様なの?とハラスメントし性病を移し続ける男がいる。女性の体を強調した広告や、作品が多く制作されて「表現の自undefined由」の元に女性の体は商品化されている。
小学校では、女児を狙った性犯罪が教員から行われる事件が多発しているし、男児が興味本位で同年代の女児の体を傷つけた事件さえある。女児が強姦致死されても残虐とされない世の中。その犯罪に走ってしまうような嗜好を許容する世の中児童ポルノを大量に持って海外で捕まる男性。児童ポルノを作っている人がいる世の中。公園や学校、映画館などどこにでも子供を狙った痴漢がいる。全年代の女性を狙った露出狂がいて、下着泥棒がいて、女性の一人暮らしの家に水道工事を装って訪ねてくる人がいる。
痴漢電車なるものがあり、「女性も痴漢が好き」と妄信している常習犯がいる。家族内で父親から性的暴力を受け続ける子供がいたり、就活中で内定が中々とれない女子大学生を狙った「僕と性行為したら新卒で入れるよ」というリクルーターがいる。二人でディナーに行けば性行為がオーケーと勘違いして逆上して暴力をふるう奴もいる。町を歩けば「あいつとはやれる、あいつは不細工だけどギリギリいける。あいつは無理」と見た目、年齢、服装から性的にジャッジされる。自分の好きな服装を着ているだけなのに「それは男子ウケしないよ。もう少し肉付きがあるほうが性的に魅力だよ」と身体を性的にみられる。生理用品は嗜好品であり、避難所に送るのは不謹慎だという意見がでる。

色々なシチュエーションを列挙してみた。もちろん海外のどの国に比べても、盗難や殺人、テロや国際的な犯罪は日本では少ないかもしれない。落とした財布やスマホが何もなく帰ってくるし、夜に一人であるいても刺されたり、黒いバンに入れられて人身売買にあうことも少ない。ずっと子供の手を握っていないと子供が盗まれることもないであろう。ただ、日本は果たして女性にとって安全なのかを考えるときに、決して安全とは言えないと考える。なぜなら、女性に対する性犯罪が許容される文化だからだ。

性犯罪を女性の非やヒステリックで片づける社会

レイプ騒動の件もしかりだが、女性が性犯罪の被害者であると声をあげると、必ず「女性にも非があった」「嘘つきだ」という意見をいう男性がいる。被害者には非は全くなく、一方的に性的興奮している男性が同意を求めることなく行為に及んだことのみが非なのだ。端正な容姿でなければ、「お前なんかが性犯罪にあうわけない。自意識過剰だ。」と性犯罪の事実を捏造として叩きのめす。容姿がundefined整っていれば「ハニートラップだろう。淫乱女め」。「痴漢だ」と言えば「冤罪じゃない?冤罪の可能性があるから信じません」とひたすら、女性が危害にあったことを否定する男性がいる。
まるで、二次元や妄想やポルノで見ていることを否定しないでください、と言わんばかりである。美人のキャラクターやAV女優が、男性に性犯罪をされ、訴えることなく喜んでいるのが彼らの信じる姿だからだ。又は、自分らの存在がそこまでに拒否されるはずがないと考えているのかもしれない。自分との性行為をなぜそこまでに嫌がるのかわからない。
常に、常に、声を上げる女性を叩きのめす男性がいる。
論理などではなく、「女性なんか」が男性様に声をあげるのが許せない人も多い。「はいはい、フェミニズム女がまた何か言ってるよ」と発言を軽視し、ヒステリックな生き物として片づけられる。「女性専用車両は男を差別している!」と女性専用車両が、車内で近くに女性がいるだけで性欲が抑えられない人間が大勢いるために女性を守るために作られたものだと理解できない頭の弱い人がいたり、「男がいないと生きられないくせに」と母親に家事料理を任せ、困ったときに頼り切った人間が言ったりするのだ。元々の「女性は男性の一歩二歩後ろを歩き静かに支える」そして無償で性的に癒しをあげて、子供を産んで、一人で子育てし、旦那の風俗や女遊びを許容するのがいい女房という文化が、とうの昔に変わったことを理解せずに、いまだに女性は黙って微笑むべき生き物だという認識でいる。

結論ー日本での女性の立ち位置ー

日本では、女性はどこかで常に性的にみられていて性が商品化されている。そのことを余りにも認められない人が多い。もちろん自分がまさか犯罪地味たこと、もしくは犯罪の一環を担っていることを認めたくはない。
「自分はいい人undefinedで、ただの生き物としての性欲を満たすためだけなのに、満たすなといいたいのか。犯罪が増えるし、少子化が進む」という暴論はいらないのだ。少子化解消という大義名分を掲げてはいけない。そんな大義名分で女性をレイプする輩は害虫でしかないし、誰もその子供を産む選択肢を取るはずがない。いかなる理由があっても、女性の人権を無視していい訳がない
性欲と性犯罪は別の物、であるはずだったのに、現代ではもはや被っている部分がある。その統制されていない、倫理や人権のかけらもない「生殖観念」が世界の流れから逆流していて、女性にとっても子供にとっても安全でない世の中になっていることを認識してほしいと願う。
男女平等以前の、女性の性の商品化と性犯罪の軽視という文化に深くはびこるカビを一層しない限り、日本は変わらない。自分で認めようが認めまいが、日本が先進国のくせして今回のレイプ事件の「レイプで女性が男性を訴えるのがどれだけ日本で難しいか」というニュースが大々的に世界中で取り上げられ、さらには統計ランキングで男女差別の国として有名になってしまった以上、認めるしかないのだ。認める人がいないから、変わらず、そしてそれが文化となってしまっているのだから。
嫌なら出ていけって?だから少子化はなくならない。今までの女性の性の商品化がなくなったら少子化がより進むのか、商品化の流れをなくすことで少子化が少しでも止まるかどうか試すのか。

今回のことで、もはやフェミニズムという次元の問題ではないということを多くの人が認識したと思う。女性の被害妄想なのか、実際に何が起きて、何が今起きているのか、なぜここまでレイプで女性が男性を訴えることが叩かれて、少子化を促進する非国民とまでされるのかを考える機会となったであろう。

女性が身を守るだけで少子化が進むなら、滅びたほうがいい。女性は奴隷でも家畜でも産んで育てる機械でもない。
女性が危険を感じないような理性が発達した優秀な種だけが残った方が、社会は上手く回るし、国の財政難や地球温暖化にさえ太刀打ちできると思う

死ぬまでにやりたい事100

死ぬときに後悔しないために

以前にも他の記事で述べたが、自分自身の中で鬱病にかかった経験が今の生き方の軸になっている。健康でいるのも、感情がわくのも今ラッキーなだけ。挑戦を恐れず、人に優しく、自分を誰よりも好きになる。そして、何より鬱病が完治した後から気にかけていることが、「死ぬまでにやりたいと思うことを実践していく」である。言葉にすることは簡単だけれど、本当に一つ一つ実践していくのはお金も時間もかかる。undefinedただ、今現在アラサーだからと言っていつまでも健康で、いつまでも生きていける訳ではない。1年に1つずつやっていったら100個はこなせないのだ。やりたいと思ったことはやりたい。死ぬときに「何にもやりたいことが残ってないや」と思って死にたいと考えている。別に死ぬまでにやりたいことを考えることは、病んでる訳でも今を直視していない訳でもない。人生単位の目標があるだけだ。この記事ではSAKE流の死ぬまでにやりたい事実践について述べていこうと思う。

①リストを作る

まず、計画的にこなしていくために、何をしたいかのリストを作っていく。最近ではスマホのアプリで、誰かがやりたいと思ったことなどがリストになっているものや、インターネットにも色々な人が「これが私がしたいこと」と上げているリストがある。そういうのを一度見てみるといい。自分が思っていたものより面白そうなものもあるし、自分が考えられるもの以外に見てみることで、新たな発見が生まれて、より満足感のあるリストになっていく。そして、ノートやパソコンのノートでundefinedもよい。箇条書きにしてみる。別に100個なくてもよい。100個以上あってもよい。どうしても浮かばなくて30個しかない。それでもよい。やりたいことはいつでも後でも思い浮かぶし、ガチガチに決めてかからないことが大切なのだ。やっぱやめようと消してみてもよい。目標は「死ぬときに後悔しないこと」それだけ。過程はどうでもよいのだ。誰かと一緒でもいい。「家族にありがとうを言う」などの小さなことでもよい。ありったけ、これをしたい。こんな自分でありたい。これをしたらどんな気持ちになるか知りたい、そんなことでよいのだ。誰に見せるものでもないので、くだらないもの、自分の思い出から「これをもう一度してみたい」なども含めてみる。

②実践していく

「これをやりたいなー」と思っていても、後回しにしてしまう人が多いと思う。そういう人はやりたい事を年に何回か考えて、「今年はこれをやろう」と決めてそれを目標にしていく。例えば「今年は〇〇城を実際に見て、〇〇さんと〇〇をして、〇〇を食べて、〇〇をすることを目標にする!」と決めることで、次の週末などに何しようかなと思ったときに「あ!あれをしよう」と思い出せて実践できるし、週末に家にこもっているよりリフレッシュできる。後に後に、ではなくもはや予約済みの旅行計画のように扱っていくのがポイントである。年末に一年を振り返る際にも「これもしたし、あれもしたなー。いい1年だったな」と思えるであろう。予約が必要なものは、とにかく予約してしまう。

undefined今健康な人、毎日仕事で忙しくて「いつかやろう」と考えてしまいがちだと思う。ただ、本当にそれでよいのか自分に問いて欲しい。次の健康診断でも健康な保証は0。健康診断書が返ってくるとき、はいはい、と破り捨てていいのは身長体重くらいしか計らない学生まで。ジムに通っていても、食生活に気を付けていても、必ず病気になる。いつかはやってくるし、それがいつかはわからない。自分が、家族が、子供がいつ怪我をしたり病気になるかはわからないことを忘れないでほしい。いつかやろうと思った今日、今晩に大地震が起きて人生が終わるかもしれない。いつかやろうではなく、今日明日、今週末。どこかで自分の人生のために時間をかけてもよいのではないだろうか。

ちなみに例として筆者の死ぬまでにやりたい事を全てではないが、記してみた。かなり消されてるので、常にやりたいことを探して考えている。

MY BUCKET LIST 死ぬまでにやりたいことリスト

  1. 一人旅をする
  2. 乗馬undefined
  3. 象に乗る
  4. バンジージャンプ
  5. スカイダイビング
  6. クモを食べる
  7. ヨーロッパでクラシックを聴く
  8. ニューヨークの街を歩きながらEmpire State of Mind. Pt 2 by Alicia Keysを聴く
  9. 親に今までありがとうを伝える
  10. 親を旅行に連れて行く
  11. youtuberになる
  12. バーを開く
  13. オープンカラオケのバーで歌う
  14. ステージで歌う
  15. 車を運転する
  16. オープンカーでACDCを爆音で聴きながら砂漠を運転する
  17. 子供を育てる
  18. 恐竜の化石を触る
  19. 家を持ってゲーミングパーティルームを作る
  20. 自分の持ち家で盛大なパーティをする
  21. ハロウィンでグループで仮装する
  22. かぼちゃを彫るundefined
  23. 作曲する
  24. ギターを弾けるようになる
  25. 女友達の近くに住んで困ったときに助け合う
  26. シェアハウス
  27. 1人暮らし
  28. 田舎暮らし
  29. 野菜を自分で育てる
  30. 好きなミュージカル映画の舞台の土地でサントラ聴きながら同じ動きしてみる
  31. ドイツのクリスマスマーケットに行く
  32. イギリスに住む
  33. ニュージーランド旅行にもう一度行く
  34. リムジンパーティする
  35. 高級車に乗って六本木を爆走する
  36. 女の子とキスする
  37. バンドでシンガーする
  38. カントリーミュージックを生でバーで聴きながらビール飲む
  39. 本場のブルースを生で聴く
  40. 本場のジャズを生で聴くundefined
  41. 外で放映される映画を見る
  42. 車で映画を見る
  43. ホテルでパーティをする
  44. ホテルに一日こもる
  45. 母親に母親の料理が世界一うまいと伝える
  46. 映画eat pray loveのような感じでバリとイタリアに行く
  47. ギリシャに行く
  48. ダウンタウンの浜ちゃん松ちゃんを生で見る
  49. アメリカのディズニーランドに行く
  50. アメリカのユニバーサルスタジオに行く
  51. 母校の体育館で同窓会という名のスポーツ大会をする
  52. 小学校で鬼ごっこ
  53. 廃墟にいく
  54. 心霊スポットにいく
  55. 映画を撮る
  56. 初恋の人に会う
  57. 恩師に会いに行く
  58. ホールケーキに顔面をうずめる
  59. 砂漠に行く

色々挙げてみた。どこかに行く、子供のころの気持ちに戻る、好きなものに関連したことをする、系統が多いかと思う。死ぬまでに幾つ消せるかわからないが、人生単位で計画して、やりたいと思える物を考え続けるのもなかなか楽しいものである。人の幸せを考えるのも大切だが、自分の幸せも今一度考えてほしい。

これもあれも、それもどれもやってみたい。

怒りや悲しみをコントロールされる世界

感情

毎日様々な感情を持って生きている。楽しくわくわくもすれば、悲しく涙を流し、ときには怒って感情が煮えくり返ることもある。鬱病を経験した者として、悲しみや怒りしかない毎日は地獄であり、真っ暗闇以外の何物でもない。では、悲しみや怒りはいらないのだろうか。このことについて考えたのは、最近プレイしたあるゲームが原因である。内容が深かったためにそのゲームについて語ろうと思う。ネタバレが若干含まれるので、プレイ予定のある方などは読まないほうがいい。ちなみに完全に大人向け。

The Red Strings Club

2018年のはじめにSteamでリリースされたこのゲーム。ちなみにSteamはiPhoneのオンラインのアプリストアのような、オンラインでゲームが購入でき、友人のアカウントを追加したりして交流できるパソコンのゲーム用プラットフォームだ。ゲームのグラフィックは少々昔のテイストであり、アクションなどはなく、会話を選んだり、考えて組み合わせたり、時間制限などがない作業をしたり、普段ゲームをしない人でも全く問題なくじっくりプレイできるだろう。アメリカドルで15ドルくらいだけど、セールだと多分7ドルくらいに下がるみたい。

The Red Strings Club on Steam

“The Red String Club’s futuristic exploration of themes regarding human emotion, strong writing, and exciting situations create an experience that is deeply gratifying.”9/10 – Gamespot “The Red Strings Club conceptually flourishes, with fascinating subject matter, well-written characters, and unique approaches to gameplay.”8/10 – Game Informer “Oh boy, is the Red Strings Club interesting.”Recommended – Rock Paper Shotgun The Red Strings Club is a cyberpunk narrative experience about fate and happiness featuring the extensive use of pottery, bartending and impersonating people on the phone to take down a corporate conspiracy.

ゲームでは人体に特殊な装置を入れて感情をコントロールする世界が舞台になっており、そのシステムに対して、倫理観を元に革命家と企業が争い合うという設定である。幸せとは何か。人間とは何か。作中に出てくるロボットや人間たちの会話はとても深く、例え「感情をコントロールするのが良し」と思ってその選択肢をしても、その選択肢について上手いこと崩されたり、「感情をコントロールするなんてダメに決まってるだろう」と思っていても、undefinedまたこれも会話や質問を受けて最終的に「ん?ダメじゃないかも?」となってしまっていたりする。会話や話の構成が非常に整っていて、頭ごなしに否定されるなどではなく、一つ一つの質問で「これはどうなの?」「じゃあこの条件ならどうだろう」「ということはこうじゃないの?」と少しずつ少しずつ深くなっていく。

感情をコントロールと言っても、極端に操るわけではなく、例えばSNSでフォロワーの数が気になる、炎上が嫌だ、いやなことを言われたくない、という人の焦りやSNS上のみでの不安を取り除く、や悲しみ・怒りをフィルターして和らげて鬱病や殺人を防ぐなど、絶妙な程度である。

筆者は感情をMAXにフルパワーで生きていたいタイプの人間なので、コントロールはダメでしょうという方針でゲームをプレイしていたが、それによって防がれる犯罪や、死ななくてすむ人間が救われると思うと、ある程度感情のコントロールが必要な人間には適用してよいと思い始めた。鬱病を未然に防ぐのではなく、なってしまった人に対して適用することで自殺を防いだり、病気が治るまで不安をフィルターするのもよいだろう。犯罪も然りで、未然に防ぐのは難しいし、筆者の人間らしさ倫理観にひっかかるが、犯罪をした後にそのシステムを適用して社会復帰させるのもよいと思う。ただそんなに都合よくコントロールをしていいのか、という議題に戻ってしまうのも確かだし、必要な人間必要でない人間がいるだろう。

悲しみや怒り

undefined悲しみや怒りをコントロールできなかった経験は誰しもあると思う人間はいつでも万全でも完璧なわけでもない。状況や環境、その日の体調やその前日の体調や気候、全てに影響されて感情が変わる。どんなに悲しいことがあっても、誰かの笑顔一つで元気になることもあれば、ディズニーランドでどんなに楽しく遊んでても、左右対称に眉毛が描けなかったからトイレの鏡を見る度に気分が最悪になるそんな日もある。旦那さんとの喧嘩でいつもより一言二言言いすぎてしまうこともあるし、親と喧嘩して家を飛び出てしまうそんな日もある。盗んだバイクで走り出すのは本人が悪いけど、大抵の場合、誰が悪い、何が悪いわけではなく、究極それは人間だからなのだ。怒りも悲しみもある。そこから生まれる経験から何まで、それが人生なのである。

undefinedその経験があるからこそ、自分が何を幸せに思うか、何をしたら一番幸せになれるか、を学べるし、追い求めたくなる。悲しみや辛さを知らない人には、何が自分にとって一番大切かはわからないのではないだろうか。幸せになりたい、自分は幸せだ、幸せはこれなんだ、と思える人って必ず悲しい・辛い経験から無意識にでも学んでいる


ただ、もし何十年後に技術がより発展して、本当に感情をある程度コントロールできるような世界になったとき、人はそれを好むのだろうか。洗脳反対とデモをするのだろうか。それとも戦争や犯罪のない世界平和のために使用するのだろうか。なかなかクレイジーな話ではあるが、人間の感情や倫理観について考えさせられる興味深いゲームであったので、軽く宣伝してみた。ちなみに筆者は気軽に、「お、バーテンダーのゲームじゃん。」と思って買ったんだけど。

バーテンダーのゲームではなかった・・・。

生きるのに疲れたと思ってしまったら

疲れる日々

undefined学生さんでも、社会人さんでも、誰でも勉強や仕事や人間関係に追われて、疲れがたまってたまって、生きるのに疲れたなと思うときがくる。誰かに「何で疲れたの?」って聞かれても、色々要因があがりすぎる場合もあれば、漠然とよくわからず、でも生きるのに疲れたと感じてしまうこともあるだろう。このまま人生が続いていくのか、と将来に対して明るい気持ちを持てないとき。

自分のキャパシティ

キャパシティと聞くと、 ここまでできて、ここからはできない。」と自身の能力に関してかと思ってしまうが、ここは心のキャパシティの話をしよう。人それぞれの心には容器があって、大小が異なっているし、何より中に入れていいものが違う。簡単に言えば、車の燃料みたいな。違う燃料を入れると故障の原因になる。ジェットコースターを最高と思う人もいれば、大嫌いな人もいる。undefinedピーマンが好きな人もいれば私のように大嫌いな人もいる。一人でいるのが好きな人もいれば、一人は嫌いな人もいる。筆者はピーマン食べれるけど、正直苦みでテンションは著しく下がるし、人のお弁当に入ってるピーマンを昼食前からかぎつけて「今日君の弁当にピーマンが入ってますよ」とわかるほどピーマンが嫌い・・・。でもピーマン大好きな人もいるよね? それぞれのキャパシティは大小も入れていいものも違っている。 生まれ持った部分や育った外的要因もある。

仕事や学校でも同じで、一つの物事に対する考えや感じ方はもちろん違って、何をストレスに感じるかも違う。それを何を感じない人から「ストレス感じるな!」と言われても、「えぇ、でもピーマン苦いじゃん・・。無理だわさ」となるわけである。undefined 仕事や学校でも同じで、隣に座っている中年男性の汗のにおいが毎日たまらなくてストレスもあれば、お局さんが強引に物事を進めてくのがストレス、新入社員が何を考えてるかわからなくてストレス、電話を取るのがストレス、自分のペースで仕事ができない・・・など何でも自分のペースに合わない何かがあるときに、自分の心のキャパシティに合っていないものが入り込もうとして、心のストレス消化フィルターが汚れていく。冷房暖房も浄水器も使えば使うほどフィルター掃除する必要がある。

生きるのに疲れたら

では、本題。特定の理由ではなく、生きるのに疲れたと感じるようになってしまったら、とりあえず自分を考える時間を取ろう。仕事が休めない、学校がある、バイトが、色々ありますが可能な限り自分を考える時間を取り、自分がその真っ黒に汚れたフィルターをどう掃除したらまた大きく息をして笑顔になれるかを考えよう。筆者が心の底から疲れてしまったとき、これらをすると決めている。病んだ時期に学んだ、SAKE流自分の心の浄化方法。


レベル1 自然に触れる

undefinedありきたりな提案に聞こえるが、これが実際重要なのは確かだ。近所の公園でもいい。少し遠出して大きな公園に行くでも、ビーチにいくでも、ハイキングや川遊びでもいい。少しでも自然に囲まれると、空気がきれいなのもあるが、何より息がしやすくなる。筆者はコンビニやスーパーで小さい日本酒の瓶を2つほど買っておつまみを買って、レジャーシートを持って公園でのんびりするのが好きだ。ときどき友人も呼んで、花見でも何でもないけれど、ただただピクニックをする。大の字で寝転がって空を見上げて、風を感じて、日光を浴びる。スナック菓子を食べて、飲んで、友人がいれば話して笑って、音楽をかけてもいい。

このときにワンポイントがあって、筆者は例えばシャボン玉や水鉄砲、凧など電子器具を使わない昔ながらの遊び道具を持っていく。小さいころに遊んだ道具など。自然の中ではなるべくスマホを見ないようにする。時計くらい。ポケモンGOやスマホゲームは置いておいて、手を動かして、体を動かして自然を感じる遊びをする。息を吹いてシャボン玉をたくさん作り、undefined人差し指で引き金を引いて水を飛ばす、風を感じながら走って凧をあげる。そうすると、子供のころに戻ったような、純粋に笑って全力で楽しんでいたころを思い出す。抽象的な説明になってしまうが、このワンポイントがおすすめである。

筆者は無宗教であるが、何ごとも起きるべくして起きるもの、と信じている。悪いことも起きるし、良いことも起きる。努力して得たものは、努力も得る幸運も起きるべくして起きたものと信じる。大自然には逆らえないし、天命にも逆らえない。筆者は全力で生きてきたし、何事も一生懸命、喜怒哀楽もMAXで表すし、何かが起きれば必死に考える。常に考えて全力で生きているからこそ、その状態で起きる悪いこともよいことも全て天命であると。もちろん怠ける日もたくさんあって、全力で怠ける。なーんにもしないで冷凍食品を温めて昨日の残りのカチカチの白米と食べる。カップラーメンとか。

undefined以前に精神的に疲れていたころに、友人10人ほどで伊豆大島諸島の方の島に1泊2日で旅行に行ったことがある。人生で一度も物をなくしたことのなかった筆者がまさかの、行きの電車でスマホをなくしてしまい、スマホなしの状態で仕方なく島に渡航。人生初めて物をなくし、しかもそれがスマホ!数時間パニック状態で、契約していた会社の番号に電話してとりあえずストップし、最後のGPSの位置情報だけ記録しておいた。島ではみんなスマホを見て、写真を撮ったりしているなか自分だけ手持無沙汰で女子部屋で一人中島みゆきの「時代」を悲しげに歌っていた。ただ、時間が経つほどスマホのことは忘れ、むしろ何もSNSやLINEを全く気にせず2日間過ごすことで、自分だけの時間をつくることができた。リラックスできたし、日ごろの喧騒を忘れることができた。しかも幸運なことに、帰りにスマホの最後の位置情報のエリアに探しに行って、見つからないなーと最寄りのJR山手線の駅に行き、「一応きいてみよ!」と聞いたところまさかのその駅に届けられていた。奇跡

行きの電車で無くし、帰りの電車で発見・・・。まるで見えない力で「この旅行の間はスマホを置いていきなさいな」と取り上げられたようだった・・。

ちなみにこちらが筆者お気に入りの島、神津島のオフィシャルサイト。
神津島村役場オフィシャルサイト

神津島公式PRムービーをyoutubeで見つけました。

レベル 2 旅に出る

これは完全に数時間で終わる案件ではないので、レベル2にしてみた。数日でもいい、1年でもいい。大切な貯金や時間を、自分のために使う訓練の一環である。買い物などでなく、物質として残らないので一歩踏み出すのに勇気がいるが、数日行ったことのない町に泊まってみるのもいい。知らない町にきたのにホテルが案外質がよくてホテルの温泉に入って一日外出しないのもいい。二人がバイクに乗っている写真自分が、「自分のために時間を使った」と思えるその経験が大事だ。1か月短期留学をしてみるのもいい。語学勉強といいながら、色々な人と会ってお酒を飲んだり、おいしいものを食べたり、写真をいっぱい撮って。1年間ワーホリに行くのもいい。日頃忙しい毎日を過ごしていると、自分のためにしていると感じれることは案外ない。仕事のため、生きるため。ではなく、「自分が質のよい一日を送れるよう」と考えてみる。に慣れると、日々の生活でも「自分のため」の選択ができるようになり、仕事もそうで、衣食住、人との関わりも気楽になる。誰かに合わせるのではなく、自分のペースで選択できるようなる。

レベル 3 自分がしたくないことをしてみる

こう聞くと完全にアブノーマルな方法と思うが、結構これが自分の価値観を少しでも崩していく始めの一歩になる。例えば、自分がストレスを感じるのは、「これは嫌だ」や「何でそうなの?」とペースを崩されたり思い通りに行かないときに一番感じる。ということundefinedは、もしその「なんで??」と思ってしまうその価値観を少しずつ変えてみたり、壁を薄くしてみたら気楽になるかもしれない。むしろ相手にストレスを与える側になるかもしれない、極論。筆者はワーホリに行ったときに、はじめは語学習得しか考えていなくて、特に何か経験があるわけでもないのに「これはこう」という思い込みが強く、ストレスを感じることが多かった。ところが時間を経て、色々な人と会って話をきいていくと、自分の思ってる常識は世間の常識ではないし、見たこと感じたことのない経験が世界中にあると知った。そこで、「今までやろうと思ってみたことのないことに挑戦してみよう」と決めて、まず手始めにスカイダイビングをしてみた。

早朝に迎えのバスに乗り、現地に着く。予約は午後の予約だったのに空きがあるからと到着したらすぐに小型飛行機に乗った。ジャンプ前はわくわくが止まらなかったが、いざ足を宙ぶらりん状態にしてジャンプ5秒前になると「こ、これ死ぬんじゃない?」と恐怖を感じた。正直最高の思い出で、とんだ後はただただ何もわからないまま雲を抜け、パラシュートが開いた後は優雅に空中散歩。空「昨日彼氏と別れたんだけど、そんなどうでもいいや!」とタンデムしていたインストラクターのお兄さんに伝えると「そうだよ!そんなんちっちゃい出来事だよ!」と言ってくれた。真っ白で何も見えない雲を抜けた瞬間の真っ青な海、曲線を描く地平線と、遠くまで続く海岸線、そして壁も床もないところをぶらぶらと飛んでいる自分の全てが合わさって、自分は自然には敵わないし、どんな悩みもちっぽけなのだと身を持って感じた。ちなみに写真セット等を注文したなら口は閉じるようしたほうがいい。友人の写真はよだれがたくさん写っていた。

undefinedその他にもバンジージャンプや一人旅や、ネットで知り合った全く環境の違う人と会ってみたり、嫌いな奴と指し飲みに行ったり、小さいことでもよいので、自分が普段しないことをしてみると案外楽しかったり、新たな価値観に遭遇することになる。すると日ごろ感じていた「何でこの人はこうなんだろうか」といったストレスが軽減されていく。「この人はこの人なんだ」と個々の違いを認めていく、少しは壁を取り壊すことができる。嫌いな物や、知らなかった物に対しての拒否反応を強制的に麻痺させる。このレベル3をしてみると、新たな趣味を見つけたり、人脈を築けたり、ストレス発散方法が見つかったりと、いいことが盛りだくさんである。もちろん改めて「やっぱこれ嫌いだわ」と思うことがあっても、それはそれで自分自身を再確認する良い経験となる。しかし、その際も「自分は自分」「他人は他人」と踏ん切りつく。

以上、筆者が思う、「生きるのに疲れたな」と思ってしまったときにしてみると救われる方法を3つである。もちろん人それぞれの対処法があり、行動力や身体的に疲れ具合にもよる。が、何も方法が思い浮かばずに、何か試してみたくなったら、上記を試してみてもらいたい。

いつもの選択を少し変えてみるだけで、こんなに楽。

フェミ・フェミ・フェミ

日本で漫画のキャラクターを使用した献血の促進のポスターが物議を醸している。表現の自由なのか、エロとは何なのか、女性の性とは。

エロ

物議を醸したキャラクターが登場する作品は元々はエロ要素ありジャンルとして制作され、ストーリー自体はエロ要素はほとんどないが、今でも「エッチ」ジャンルに所属する作品である。「エロ」とは何なのか、男性と女性での認識に差があると筆者は考える。ここでは男性向けのエロ作品について述べる。

単純に男性にとって「エロ」とは彼らが興奮したり彼らが興奮すると考える行動、描写が含まれる分野であり、女性にとっては女性自身がその行動、服装、容姿を自分や実際の経験に置き換えて「性に関係している」と思う分野を言う。つまり、男性にとっては行動・描写でエロいかエロくないか判断されるが、女性にとっては「性」が少しでも関わる限りエロという幅広い分野を指す。大きな差である。

女性にとってのエロ

女性にとって「エロ」の範囲がなぜそこまで広いのかは、世間一般的に例えば「露出しすぎ」や「清楚な装い」が求められるからだ。肩が出ているだけで露出しすぎ、スカートが一般なのに生足は厳禁でタイツ着用がマナーであったり、下着は絶対に透けないようかつ、インナーも透けないよう下着・インナーの色に気を配り、化粧はしすぎずに清潔感を、と制約が多い。この制約は女性にとっては「女性を強調したり、少しでも体の部分を露出しては公共の場では淫ら、不適切とされる」undefined からである。電車で痴漢にあえば「露出しているのが悪い」「胸を強調している服をきているのが悪い」「電車に乗らなければいい」と少しでも性的な部分を探しだされ「君が悪い」という輩が大勢いる。少し短いスカートをはけば、「ダメですよ、短すぎです。男性に見てほしいんですか」下着が透ければ「誘ってるの?」そのように、性的部分を完全に隠さないと男性を誘っているとみなされる。性的な部分を出した自分を選んでほしいと発信していると思われるのだ。圧倒的に立場が下と見られている証拠である。そんな文化から女性は、体の部分や性が少しでも誇張されていたら「エロ」認定するのは当たり前である。そう自分が男どもに教わって生きてきているからだ。

女性にとっては、胸・下半身や女性ならではの身体的特徴を誇張させたり「魅力的」に見せているような描写は性を強調していると認識し、エロに該当する。実際に男性が興奮している場面に遭遇しなくても、女性の中ではエロであるのは揺らぎない。性的な体の部分が誇張されているからだ。エロでないのならば、性的な体の部分を誇張する必要がない。それが日本女性が社会的に求められる見た目だからである。実際に女性として生きていかないとわからないかもしれないが、巨乳や美undefined 乳、綺麗な体が求められるわけではなく、体の部分を隠し、協調性を見せることが求められるのだ。男性の意見でよく、「誇張された胸=エロなはずがない。エロ要素のないストーリーだからエロではないのだ」を見受けた。これは完全に男性側の意見であり、「興奮しない」=エロでないという認識なのである。例えば、頬を赤らめていたり(漫画的な性描写)露出がなければ、興奮はしないのでエロではない、ということである。男性の目線、女性の目線によって考えが違い、議論が成り立たないのは、お互いの「エロ」認識の根本が大きく異なるからである

女性の性の商品化

この際に男性、女性の目線を平等に扱うのは難しい。なぜなら、描写で使われているキャラクターが女性だからである。扱われているのが例えば宇宙人であったり、動物であったりとするならば女性、男性の意見に平等性は必要になるが、女性の性が扱われている以上「男性がエロと思わないから」は通用しないのである。扱われundefinedている女性の性を、女性がエロで不快ととらえるならば、女性の意見に重きを置かねばならないのである。男性が女性にとっての「エロ・不快」を理解しない限り、女性自身が自らの性の商品化に歯止めをかけなければならないからだ。自分の身、次世代の女性の身を守る。男性の意見を無視するのは男性差別である、という意見が出ればそれは間違いである。女性差別を止めるのを阻害するために「男性差別するな」というのは屁理屈であり、だからこそ女性差別がなくならないのだ。女性の性が売り出されいる件を、男性からのただ「好きだから」「女がでしゃばるな」「被害妄想で俺の好きなものを否定するな」という幼稚な感情論で叩かれても、非論理的で議論にはならない。

女性の性的身体的部分が誇張されているキャラクターが、オタク文化の中で容認され、今回公共の場に出るにまでなってしまった経緯には、女性の性の商品化が一般とされてしまっていることが要因であると言える。undefined女性の写真を使うと売り上げが伸びる、女性の店員を接客に使うと売り上げが伸びる、女性のキャラクターを使うと人気が出る。キャラクター設定でも、胸やお尻が極端に飛び出ていたり、胸が露出されていたり、誰でも読める漫画やアニメに女性のほとんど裸の絵や、無用なシャワーシーンが入ったりする。男性にとっては、性的な行為や描写があるわけではなく、エロとは認識されないのかもしれない。だが、女性にとっては、彼らの性的特徴が描写されているのでそれは「エロ」であり、性の商品化とみなされる。女性は女性の「エロ」認定の物差しがあり、「男性が興奮するか否か」という男性の性が中心の考えではなく、被害妄想では全くない。今まで「世の中が容認してるみたいだから・・・」と声をあげなかっただけで、万人に容認されている訳ではない。

表現の自由

多くのツイートで「表現の自由」が挙げられていて、表現の自由を無視するな、表現する権利があるのだ、という人がいた。もちろん今の自由な世の中、表現の自由が保障されている。表現の方法や内容は自由であるべきで、制限はできない。しかし、その表現の自由を掲げていいのは作者であり、視聴者や客側ではない。作undefined者が考えて表現しているわけであり、視聴者や客側が表現を理解したと思っても、想像であり、彼らの表現ではないのだ。もし表現の自由しか言い分がなく、それ以外に何も反論の余地がないのであれば、黙っているべきである。作者でないのだから。そして、表現の自由は作者側の権利を保障しているが、もちろん表現に対して受け手がいるわけで、望んでない人を受け手にしてしまう場合、賛否両論になる。 作者に表現の自由はあるが、もちろんその表現を見る見ないを選択する権利があるべきなのである。これが作品展の場合、わざわざ足を運んでその表現を見に行くわけで、両者の合意のもとである。しかし一方的に、自分らの性が商品化されていている不快な表現を公共の場で押し付けられて、「表現の自由」だから我慢しろと言われる女性に、権利があると言えるのであろうか。

結論

この件で議論が全く論理的に行われないのは、男性女性にとって「エロ」が異なるからであり、日本で女性が自分の性を守ることはこのようでは不可能であることが明らかになった。女性の性に対しての男性の認識は今だ著しく男尊女卑であり、女性が立ち上がることすら許されずに「女なのだから黙ってろ」と言わんばかりに叩かれる世界の傾向と間反対を行く風潮では、真の女性進出などこない。鎖国日本では、男性が立ち上がらずとも既に持っている人権を、女性が求めることはできないのだ。この件で「もういいよ」と言ってしまっている女性は、男性と女性の性の価値は平等であることを忘れないでほしい。自分が我慢すれば、自分はそんなに価値がないと思わずに自分や自分の次世代の女性のために一度考えてほしい。私は自分の子供にこんな思いはさせたくない。

黙って男に使われればいい時代は

とうの昔に終わったんですよ、皆さん

男性が必死に「これは性行為でないからオーケーだろ!どこがエロだよ」と発信しているのが、とても見苦しい。エロとは性行為ではなく、性的なものをいう。女性の性的な体の部分が誇張されてるのに。彼女の胸触って興奮しないの?こうして彼らは性行為をしていないから浮気していないよ、とか、痴漢された女性に「自分の服を見直せundefined。痴漢した奴も悪いけど、お前も悪いんじゃない」とか「女児萌え!」など、自分の身を守ることのできない女性に対して女性なのが悪い、と言ったり性的対象にしたりするのだ。常に、男性は女性を選ぶ側で、女性は選ばれる側と考える輩が多く、女性に対して自分の性癖丸出しなセクハラアドバイスをしたり、どの女性の容姿が優れていてどの女性が不細工なのかと盛り上がる。キャバクラや風俗に行ったり、女性の性は彼らが「癒し」を求める道具でしかない。同意の元でポリアモリー(複数の交際相手がいる)の関係や、オープンリレーションシップ、交際しているけれど誰と体の関係を持ってもいい、という特殊な関係でないかぎり、風俗やキャバクラに行ったり浮気するのを「男だから」と納得することを強要されるのも完全に男尊女卑である上に、女性の自己価値も存在価値も著しく低い。包容力でも、関係を長続きさせる秘訣でもなんでもない。女性の性への蔑みを容認しているだけだ。そのような男性にとって女性は完全に「性的癒し」を与えてくれるものであり、平等に愛し合う生き物ではないし、男性は女性を選ぶ側だと心底思っている可能性が高い。女性も誰と何をしてもよいという条件のもとに男性がキャバクラや風俗に通うのを許可しているのであれば、それは合意の元であり、対等である。他にも、急に「綺麗ですね!可愛い!」と女性の容姿について述べることも勝手に性的対象にされて多くの女性にとって不快であり、常に選ばれる側の印象を与える。男性は一度立ち止まって、自分に娘ができたら、娘がそんな輩どもから性的に見られたり、女卑されている世の中で安全に暮らせるのか考えてほしい。得たいの知れない気持ち悪い輩に痴漢された上に他の男性に叩かれて泣いている娘を見て、これが日本の文化なんだから我慢しなさい、と言うのか、それとも守り抜いてやる、変えてやると思うのか。そして、記してあることを「言いすぎだよ、そんなことあるわけないでしょ」と思う人、これは現実であり、多くの女性が体験している紛れもない事実です。

てか、女性の性的な体の部分を誇張してるキャラクターを一般的として容認するのが良い訳なかろうがーーーーー。あほか。「女性の体を商品としか見られなくて、ごめん」って自分の母親に謝れ!

「女なんだから」と言われたら

「女なんだから」

筆者は自己紹介のページでも述べているように、アラサーの女子で、無職、アメリカ留学中である。奇跡的に、私の性格があれなのか、家族も友人、前職の同僚たちも私の生き方に何も文句言うことなく、「がんばれよー!」と言ってくれた。ただ、もちろん女性として「女なのだから」と言われたことは数えられないほどある。

undefined 私は中学高校と女子校で育ち、女性の中で毎日過ごしていた。先生はもちろん男性もいるが、日常の学生生活で育まれていく感覚は、女性の中で構成されたのである。成績の競争が毎日毎日あり、女性の中だけでヒエラルキーが作られていく。そんな環境の中で「女なのだから」という言葉は一切意味をなさないし、誰の頭にも浮かばない文章である。女でも、少しでも力のあるものが重い器具を運んで、少しでも耐性のあるものがゴキブリを殺し、料理が得意な人もいれば、苦手で食べる専門の人もいる。女だけで小さな社会が構成されているので、「女なのだから」と差別されることは一切になかった。しかし、大学で女性社会から飛び出た際に、初めて「女なのだから」という言葉を聞いた。

「女の子なんだから、別にそんなに熱心に勉強しなくていいんじゃない?」私が大学生の際に興味を持って起業の勉強会に参加しているときに、一人の男子学生が言った。undefined「え?」衝撃だった。「お、女の子は勉強しなくていいの?」超進学校の女子校出身の私には、女性だから勉強しなくていいという意味がわからず、え?ほとんどの女性の友人は君より相当勉強してるし、比べるもの失礼なくらい頭いいんだけど・・ 、と頭の中で呟いた。男性だから勉強しなきゃいけないなら、この大学じゃレベル低すぎないかい。勉強したの?←これが本音(笑)

大学のグループワークや発表の際も、何となくだが「女性は少し下がって、男性がリーダーで、発表して」といった雰囲気があった。進まないグループ学習を、女の私があまりに仕切ろうとすると、あからさまに嫌そうな顔をする男子学生もいた。重いものを率先して運ぼうとすると、「女なんだから、休んでて!俺らがやるから」。飲みに行けば女性がご飯と取り分けたり、気を遣うことをすれば「お、女子力高いね」。挙げれば山ほどある。「女子力」「女子なんだから」「女らしく」

undefined 私が一年前に仕事を辞めて、オーストラリアに留学すると決めた際に、今まで何も言い争ったことのなかった祖母から急にお叱りを受けた。「女なんだから、絶対に日本に帰ってきて、いい仕事してる日本人を結婚して、親の近くに住んで、子供を産むのが幸せなの。絶対に外国人となんか交際してはいけないよ。絶対に帰ってくるんだよ。」正直祖母が生きてきた時代はそんな時代であり、否定するものではない。祖母も文化や家庭、一族の流れに押し付けられて生きてきたのだ。ただ、今の時代を生きている私にとっては、ただただ足枷であった。家に帰って涙を流してしまった。

もちろん女性にとって、年齢は気になるかもしれない。妊娠出産を安全にしたければ年齢を考えなければならない。「この年齢までに妊娠出産したい」という希望があるならば、仕事・恋愛・趣味等色々準備をしていく必要があるであろう。男性は圧倒的に出産に関与できる年齢の幅は広い上に、undefined実際に本人が妊娠するわけではないので、急ぐことはないだろう。女だから、体の制限はあるかもしれない。出産から数年子供がある程度大きくなるまで、自分の自由にできる時間など皆無になる点もある。だからこそ、時間は大事だし、 チャンスを逃してはならない。

「女なんだから」と言われたら

「女なんだからやめときなよ」「女なんだからこれをしなさい」と言われた際に、「女なんだからという以前に、私は私で生きている」という意識を忘れてはいけない。undefined言い返す、言い返さないは好きにしたらいいが、絶対に「女として」よりも「自分として」を忘れてはいけない。人がいう〇〇なんだから、というのは彼らがあなたを、こんな人であるべき、と勝手に考えているだけであり、あなたが思うあなたではない。あなたがなりたいあなたでもない。人の測る物差しで生きてはいけない。今まで生きてきたのは自分の力、自分の選択肢、自分が頑張ってきたからであり、今のあなたはあなたの過去で作り上げられてるのだ。人の物差しではなく、自分がどう自分の人生を生きたいか。生きるのか、 生かされるのか。自分がやりたいから、やる。仕事がどうの、子供がどうの、給料が、住む場所がどうの、ではなく、自分が満足いく結果だったらあなたはもう勝ち!最高!自分はもうダメだと思っている人に声を大にして言いたい。

いつでも、自分が選びさえすれば、人生は簡単に変わるから。

極端な話、どうしても行きたい国があるなら、今、すぐにオンラインで航空券を取れば今日明日にだってそこに行けるのだ。仕事の昇進でもいい、海外に留学でも、移住でもいい。副職で、新しいキャリアに転職でもいい。新たなコミュニティを作るのでも、趣味に没頭するのでも、ボランティアに打ち込むのもいい。小さなものでも、生活がガラッと変わる大きなものでも。今の時代ネットでどんな情報も手に入るし、自分が全く知らなかったようなものも星の数ほどある。新たな挑戦を面倒くさいのか、長い人生の中での第一歩ととるのかは個人の自由であるが、後から後悔をしないように。いつかやりたい、そのいつかはあなたが選択しない限り一生こない。そして、あなたが諦めた理由を「女だから」と自分の中で決着をつけて、他人に同じことを強要させたり、次の時代を生きる次世代にも同じ用に課すことは絶対にしてはいけない。

時代は変わる、常識も変わる。

あなたは?

ちなみに、「結婚まだなの?笑」と自分が結婚していて、まるで結婚しないと負け犬のようにマウントをとってくる古い田舎者な輩には逆に「いやー、世界は自分が知らないことばかりでさ!人生楽しすぎて!(∩´∀`)∩ 産まれてきてよかったと心から思う!」と満面の笑顔でいかに自分の人生が素晴らしいか語り掛けましょう。彼らははあなたが何を言っても傷つかないことを知って怖気図いて去っていきます。自分に自信を持つことが大事。あと、結婚してからも何でもできるからね。

これがsake流の我が道を行っても誰にも何も言われない戦法。

英語を英語のまま認識する方法(英単語)

  〇英語を日本語を通して理解する(英語→日本語、日本語→英語)

よく英語を勉強している人で、「英語を日本語に変換して、日本語で考えて、日本語の返答を英語に訳してから発言する」人がいると思う。もちろん英語学習のはじめは皆同じく、この単語はこういう意味だから、〇〇を伝えるためにこの単語を使って発言しよう、となる。undefined特に単語帳で学んだ単語を始めて実際に聞いた際に「あ!あの単語だ」と日本語でイメージするのは今だにある。 大学の授業で、「こんな単語使わないだろー」と思いながらも覚えていた単語帳の単語を実際に教授が使っているのを聞いて「お!あれだ!」となって、日本語の意味が浮かんでくる。そのように、インプットした単語を日本語を介しても、頭の中でしっくり理解できてアウトプットすることは、英語学習で有効であると言える。ちなみに、自論では英語学習するときに英単語帳は必須。現地に英語がわからないまま乗り込んでコミュ力だけで乗り切っていく根性がない限り、単語帳は大事。英語がわからないまま乗り込んでった人達は、単語をある程度知って英会話がある程度できる人たちに追いつくまで大分時間がかかる。1年か数年余計に。

  〇単語帳の使い方

筆者は単語帳やって、英語の小説1冊読んでIELTS受けたらリーディングは8.5だった。他は特にIELTSのために勉強をしなかった。大学の授業でも単語帳で習った単語がよく出てくるし、ドラマでも出るし、ライティングでも使える。使った単語帳はこれ ベレ出版のIELTS必須英単語4400 シンプルな単語帳。まず、一日のノルマを決めて、会社の朝の通勤時間45分ほどにまずノルマの分に目を通していき、知らない単語に赤のマーカー(緑のシートで隠したら見えなくなるやつ)をひいていく。通勤時間に合わせたノルマの量にしたので、つく10分くらい前に目を通し終わり、赤の線を引いたところを覚えていく。英単語を見て日本語訳をあてるのではなく、日本語訳を見て英単語が出ないと会話では使えません。帰りの通勤時間もその日のノルマをもう一度軽く目を通し、知らない単語を覚えていく。次の日の通勤時間にはまず、前日のノルマの覚えた単語をまずシートで確認していく。undefined覚えていない分があっても問題ない。その日のノルマをまた目を通していく。その次の日には、一昨日の覚えてない分と、前日覚えた分をテストしていく。毎日3-5日分の覚えた単語のテストを繰り返ししていた。空き時間に英単語の同意語をググって書き込んでいく。すると、日本語訳から「これを言いたいときに、〇〇、〇〇、〇〇が使えて〇〇はこんなとき使える」となる。時間がかかって手間のように思えるが、語彙力を伸ばしながら使えるようにするには時間がかかる 。ひたすら繰り返し。ときどき週末にペラペラここ1週間のノルマを見返して、着実に覚えていく

  〇次の過程(英語→英語)

undefinedでは、その段階から英語を英語のまま認識する段階にはどうステップアップすればよいのか。簡単に言うと、ひたすらイメージする、ことでその段階に達することができる。例えば、appleと聞いて、「あ、りんごだな」と頭で日本語を介する人がいるだろうか?アップルという単語は日本でもカタカナ語として浸透していて、アップル=赤い甘い時に酸っぱいあの果物、と認識しているのではないだろうか。アップルと聞けば頭の中に即座にあの果物が浮かぶ。ピーチもそうだ。ピーチ=桃ではなく、ピーチということは、あの桃色のお尻のような形の甘いジューシーな果物とイメージするだろう。その「イメージ」が重要なのである。

単語帳で覚えた「英単語=日本語訳」を「英語単語=〇〇〇(実際の物や動作)」としてひたすらイメージしていくのだ。walkを歩くではなく、実際に歩いている自分を想像して、例文や例えの会話をイメージしてみる。「hey, are you driving to the supermarket? Do you want a lift?」「Nah, I will walk there. I kinda feel like walking because I ate too much ice cream.」例えばこんな感じ。undefined夏の暑い日の夕方に自宅でバニラアイスとこで、やべ、夕飯ハンバーグ作るので卵が足りない!スーパー行こう。あー丁度いいから歩いて少し運動しよう、という詳細までの完全なる妄想。これを色々な単語に当てはめていく。動作ならその動作をする自分や他者をイメージして、実際の会話を妄想して使ってみる。物であれば日本語を介さずに、単語=その実際の物をイメージする。ひたすら妄想。妄想。妄想。こんな単純なことなのだ。

  〇問題点

この過程でやっかいなのが、簡単にその状況をイメージできないような単語が山ほどあることだ。動詞や名詞以外は難しくなっていく。例えばconceivableを挙げてみよう。日本語訳「考えられる、想像できる限りの」だが、これを実際に頭にしっくりいくまでイメージするのは難しい。この際に筆者が使った方法が、同意語をググって、しこたま単語帳に書き込んで、それをグループとして覚えていく。その単語と同じカテゴリー単語と一緒に抽象的なイメージでとらえていく。たまにそのカテゴリーの中に既にしっくりきている単語があったり、単語の成り立ちが簡単でイメージしやすい単語があったりする。undefinedconceivableの場合、imaginable, possible, believableが同義語である。これを見ると「あ!何となくイメージできる」となるのではないだろうか。imagineとableで想像できる感じだ!possibleで可能な感じだ!そこから関連づけて英語=そのままの意味で覚えていく。そして、既に習得済みの英語の動詞に関連づけて、妄想する。実際アウトプットできる環境があれば、それはもう使うだけだ。

この単語勉強方法を続ければ、多くの単語を日本語を介せずに覚えることができ、英会話を実際にする際に単語単語が自然と英語で入ってくるようになる。そして英語を英語として認識するからこそ、海外在住歴が長い人が日本語を話す際にカタカナが混じったり、「日本語でこれ何て言うんだっけ」となっていくのである。

ちなみに、元々妄想の力が強すぎて、妄想しすぎて歩きながら白昼夢見るくらいヤバイsakeなので、この方法が有効であったが、もちろん合った方法は人それぞれ。sakeの英語勉強の環境は特殊です。みんな、白昼夢って見る?

妄想こそ力なり。

ポカホンタス系女子

ポカホンタス系女子

ツイッターでポカホンタス系女子というワードが賑わせているが、一体ポカホンタスとは何なのか。海外在住日本人女子すべてを指しているのか。何なのか。

ポカホンタスとして挙げられている特徴が、

  1. 白人男性と付き合っている又は結婚してる
  2. 髪型が黒髪でストレート
  3. 日本では個性的だったのに海外では無個性
  4. 日本人男性をディスる
  5. 日本文化をディスる
  6. カタカナを使う
  7. 自尊心が高い
  8. 海外文化かぶれ
  9. 上記すべてをSNS等で全面に押し出している

ツイッターを探ればもっと色々出てくるであろうが、よく見たものを挙げてみた。

白人夫

american flag

1つ目の白人男性だが、アメリカ人夫がいます=白人夫です、と勘違いして発言している人が多かった。海外に出てみないと実感できないかもしれないが、アメリカもどこの国も白人だけしかいないということはあり得ない。特にアメリカなんて移民がどうの以前に白人だけの国ではないし、それに移民が何十年も入り続けてアジアからもアフリカからもヨーロッパからも移住している人がいるわけだ。アメリカ人夫は必ずしも白人夫でないのは常識である。そして白人だとキラキラで、白人でないとどうなるのだろうか?人種で格差があるのだろうか?

黒髪ストレート

undefined髪型が黒髪でストレートなのは 、正直日本でもモテる髪型としてよく言われるし、ほとんどの日本人女性の髪形は伸ばせば黒髪ストレートがナチュラルな結果である。むしろ日本人としてのアイデンティティともとれる。海外に出たら日本人オシャレ女子のように1か月に1回美容院に行ってトリートメントしてカットしてカラー整えてみたいなことは金銭的に時間的に立地的にと色々な壁があり、黒髪ストレートが一番節約できるのだ。何度かオーストラリアの日本人専門の美容院に行ったことがあるが、学生でいる自分には高すぎるうえに、東京の美容院に比べてクオリティが尋常じゃなく低かった。1000円カット並みのクオリティ。キレそうになった。場所にもよるが。日本で女性が美容院選ぶのって、色々通ってみて好みの場所を見つけたりするだろう。そんなことは移住先ではよほど金と時間に余裕がないとできないし、選択肢もない。海外在住でも髪は日本に一時帰国した際に切る人も多くいるほどなのだ。日本には黒髪ストレートはいないのだろうか?

個性

日本にいる際は、個性的でも海外にいったら無個性というのは、当たり前である。海外のファッションセンスを好む人そのファッションをしていたらもちろん日本では個性的に見えるが、海外に出たら皆着ている普段着であろう。例えば、日本ではあまり原色のみの服装などないが、海外ではむしろ原色が多い。日本で無個性の服を着ていたら、それで海外にいったら個性的なファッションになるのと一緒である。日本文化が大好きな女性がときどき日本の服をオンラインで買っていたりする。

日本人男性をディスる

undefined 日本人男性をディスるのは 正直筆者も好きではない。私は色々な国籍の人と交際したことあるが、もちろん日本人とも交際したことがあるし、結婚までいきそうになったのも日本人の男性だった。日本人男性が嫌だから海外の人と付き合う女性にロクな人はいない気がする。深く知り合えば、正直日本人男性も海外の男性も違いはなく、皆不安があったり女の人に自信がなかったり、一緒なのだ。文化の違いで愛情表現の違いがあるのは確かであるが、日本人男性だって激しい愛情表現する人もいれば海外の男性でシャイで何も言えない人もいる。よく、激しく愛情表現してくれるから海外男性がいいという人がいるが、それはたまたまそういう人と会っただけで、多種多様な男性と会ったことがないだけなのだ。知人のアメリカ人男性は、日本で英語の先生をしていた際にあまりに日本人女性が積極的で恐怖を抱いたらしい。彼はとてもシャイで女性が元々苦手だったが、日本にいたことでトラウマになったという。

日本文化をディスる

undefined 日本文化をディスるのは、 個人の勝手である。自分の会社の文句や、子育てに参加しない旦那の文句や、親の文句、恋人の文句、学校の文句を言っているのと一緒である。その環境にいたからこそ、「嫌な」思い出や考えが生まれたわけで、食わず嫌いしているわけではない。会社が嫌で辞めた元同僚が、まだそこで働いている自分にひたすら文句言ってくるのと一緒で、文化が嫌だからそこから自分の力で飛び出したのなら行動力をほめるべき。その環境にいて、さらに違う環境も知っているからこそお互いの良い点もわかるし、それでも嫌な点があるからのディスりなのである。会社だって、「この福利厚生がいいし、この点は自分に合っているけど、その他全部嫌」ってのもあれば「給料が増えないからこの仕事は嫌」って一点が嫌すぎて辞めることもあるだろう。会社も恋人も、自分に合う合わないがあって当然で、選び放題だし、ディスりは勝手だろう。日本人なのだから、まるで自分は日本人ではないような口ぶりをするな、という声もあったが、日本出身でも海外にずっと住んでいたら感覚は世界基準で日本人とはかけ離れているし、日本人だからオリジンを忘れるな、というのはもはや呪いである。「村の掟を守って豊作祈願の人柱になるんだよ」くらい古く、人権や権利、選択肢を完全無視した押し付けであるし、鎖国する日本で産まれてしまったから付きまとう「呪い」。「新入社員らしくしろ」「女らしくしろ」「男らしくしろ」「子供らしく、大人らしくしろ」「日本人らしくしろ」「らしく」しないと叩き続ける人間がいるからこそ、当てはまらず飛び出したり病んでいく人間がいる。世界に羽ばたくための羽を毟りとるような言い分である。〇〇人だから、ではなく個人の個性や魅力で勝負するのを応援すべきであるし、嫌なものは嫌でいいのだ。

カタカナ、片言

カタカナだが、何年もずっと英語で話していれば咄嗟に日本語で言いたいことがでてこないことがあるのは当然だけど、これは実際に経験してみないとわからないことである。

自尊心が高すぎる

undefined 自尊心が高いのは悪い ことなのだろうか?元々女性に権利がなかったり、常に男性より前に出てはいけない文化であった日本で、今の時代に自尊心を持って、自分の道を行けるのは素晴らしいことである。男性から好かれるためにモテ服を着るのではなく、自分が好きだからこの服を着る。男性から好かれるためにモテ化粧をするのではなく、自分が綺麗だと思う化粧をする。「男はこれくらいぽっちゃりの体型がいいんだよ、残念だなぁ」とジムに通ってスレンダーな女性に、まるで男に好かれる体型にした方がよいかごとくコメントするモテない古臭い男性の話はよく聞く。「モテないぞー」というアドバイスほどクソバイスはない。男性のために、ではなく自分のために。自分はこのレベルが欲しい、自分はこれを手にする価値がある。自分はこの見た目になりたい。自分を下げて下げて誰かのために着地するより、なりたい自分に、上を目指していっていい時代なのだ。女性も男性も一緒。

海外かぶれ

undefined これはやっかみであるのは明白である。海外文化に親しむのは悪いことではなく趣味の一環でもよいし、現地に在住したら必須である。現地の人は移民に対して現地の文化に親しんでほしいと願うのは当然で、日本も同じである。日本にいる外国人に、母国の文化丸出しで生活されたら共存しづらいであろう。店から「後で払うから」と品物を持っていかれたり、品物をすべて開封されたり、使用済みの良品の品物をレシートもなしに返品されたり、トイレの使用済みのティッシュをごみ箱にためられたり、電車の中で爆音の音楽かけてダンスが始まったり、急に家におしかけてきて「子供がお菓子食べたいっていうからあなたの家に来たの。お菓子あるでしょ」なんて来たら、日本文化にある程度従ってくださいとなる。それはマナーだけでなく、現地の常識、皆知っているポップカルチャーから伝統から歴史まである程度学ばなければならない。日本にいようと、日本の文化から歴史まで精通している人は少ないし、そこまで教育で重視されなくなったこれからではある程度知っている人すら少なくなっていくだろう。何に重きを置くかはその人自身や家族が決めるもので、自分の狭い世界しか知らない他人にどうこう言われるものではない。韓国文化ラブな人たちも大勢いれば、日本の文化が大好きな人もいて、何でもよいのだ。

SNSで全面に押し出している

phone image 最後の、「上記すべてをSNSで全面に押し出している」だが、正直筆者はこれをする人の気持ちはあまりわからない。ただ、自分がわからないから間違っているわけでは到底なく、自分の趣味ではないだけ。根源に、SNSとはそれぞれの好きなアカウントを作って、意見の発信・議論、共通の趣味を持つ友人を見つけたり、イベントを開催したり、どんな繋がりをも作れるような媒体である。仕事やバイトも見つけられるし、ツイッターのような一言呟くこともできれば、面白い動画を発信してシェアする。そう、「シェア」のためにあるのだ。趣味を、意見を、情報をシェア。ということはアカウントに何を書いてあっても、その持ち主が「シェア」したいと思えば何を書いてもよい。もちろん誹謗中傷や法律にひっかかることはダメだが。シェアの相手を集めるためには、己の趣味や何等かの方法で自分をカテゴリー化し、同カテゴリーの相手を集める必要がある。「〇〇高〇〇期卒」「海外旅行」「アニメ」「ママ友」「仕事」。自分が〇〇派として認識してほしいカテゴリーをアカウントに書くのは、集客として間違っていない方法である。「〇〇人夫と日本人妻」もカテゴリー化の一部であり、同じカテゴリーまたは興味がある人を集めたいのなら、必要である。オンラインショッピングでも、一つの商品を見ると同じカテゴリーの商品がおすすめで出てきたり、同じような商品を探すのに使うだろう。カテゴリー化はこの情報過多な時代には必須なのである。undefinedそして、カテゴリー自体「国際恋愛」などの既存のカテゴリーに疑問を抱くのも、もちろん意見の違いとしてあり得る話でまたそれも「なんだなんだこれはぁ?」とSNSを開いて、そのアカウントを覗いてしまうである。今回の件はこのカテゴリー化を、「ブランド化」していると勘違いして叩かれている気がする・・・。皆に好かれることが目的ではなく、より注目を浴びることがSNSの真意であり、アンチがいるほどそれほど閲覧数や人気が高い証拠でもある。

結論、どうでもよい。

色々意見を載せてみたが、正直ポカホンタスだろうがポカリスエットだろうが何でもよい。SNSという極論「開けば負け」な媒体で「こいつが気に食わない」と議論をしている時点でSNSの罠にはまっていて、気に食わないこいつの名前を出せば出すほど知名度が上がっていく。

ポカホンタスと呼ぶ人たち

一つ、なぜポカホンタスという思想が出てきたのかを考える。「どこか違う世界でやり直してみたい」「新しい生活を始めてみたい」「自分に自信をもてるような暮らしがしたい」けど勇気がなくてできない人たちが、SNSで全面に出している人を見て、もしやっかみでそれを言っているのなら、それはどんまい以外の何物でもない。undefined 勇気がもてるかどうかは能力と経験と環境によるから、勇気が持てない人はそのまま何も変わらずに果てていくだけ。自分にない勇気を持っている誰かに心の底では嫉妬の塊なのだ。ただ単に「キラキラしてるのを押し付けてきて、まるで自分がエラいみたいでムカつくから」なら、それもそれでどんまいである。思春期の男子が、お母さんがこれも食べなさいと出してくる料理に「うざいんだよ」と言ってしまうのと同じレベルであり、色々根拠や屁理屈を並べてもお母さんから見ると「あんたぁ、またそんなこと言って。勉強しなさい!」と同じ。きわめて偏屈で中二病のような感情論で説き伏せようとしてもやはり、無理な話である。彼らは人の上に立っていないとイライラしてしまうタイプの人である。SNSといった匿名又は著しく薄い関係性の中でも、「この人が幸せを全面に押し出すのがムカつく」「白人の旦那見つけた人は私を見下してるに違いない」と自分の立場が弱者になってしまったと妄想し、強者の存在自体を叩くことで強制的に自分が優位であると自身に知らしめる。自分自身の威厳は守られるが、客観的に見れば滑稽そのものである。自分は買ってもいない宝くじを知人が高額当選してしまったときや、ずっと彼氏がいなくていつもアドバイスしてあげていたとても仲の良い女友達が先に結婚してしまったときに、陰口を叩いて自分の後悔や嫉妬を晴らすような人間である。生理的に無理なら言葉を交わしても着地点はないし、特にこれといった根拠がなければ聞く意味もない。

世界の流れに乗れ

ただ、一つだけ言いたいのが、ポカホンタスをいじる用語として使うのは世界では完全にタブー。どんな理由を並べても、どんな根拠や「これだからでしょ」と並べても、差別用語を使うのは絶対にタブーであり非常識極まりない。アジアはまだ人の見た目をネタにして笑っていい文化であるが、外に出ると人の見た目をいじることundefined は好まれない。日常で見た目の話は出てこないし、日本の女芸人のブスネタのようなものは軽蔑されるし全く理解されない。どんな見た目でも幸せになる権利があるからだ。某女性芸人がアメリカ進出した際に、日本では「女性らしくない」見た目や動きで笑いをとっていたのに比べ、アメリカでの反応は「パフォーマンスとしてレベルが高い。個性がすごい。」で笑いではなく拍手がおきるものであった。ネットの誹謗中傷なんだからそんな大層なことを言うな、という声もあったが、今回のこの件によって、多くの日本人の人種差別や見た目差別への意識の低さが露呈してしまったのは明らかである。「人種差別とかではなく、こんなことしてるから叩かれてるだけでしょ」というのが多すぎて呆れた。頭が悪すぎやしないか。言葉が悪いけれど、バカすぎる。親から何も教わらなかったの?ニュース見ないの?新聞読まないの?無知すぎる。それを他の民族に他国で言ったら訴えられるし当然負ける。ISISが問題であった際にも、日本のネットのみ、殺害予告された動画や写真でコラ写真を作成して盛り上がっていて、ISISのネット担当者が見て日本は狂っていると発信していた。サミットが開催される際の大量の警察官やごみ箱撤去・テロ対策に対しても文句がネットであげられる。「そんなところに税金を回すな!国民の仕事の妨げになる」。先日の台風の際のホームレスの避難民が避難所から入所を断られたという件も全世界のニュースで取り上げられてしまった。確実にそこにホームレスでない避難民はいたわけで、誰も「何言ってるんだ!危ない!いれてやれ!」と声をあげなかったのか。ホームレスは人権がないというのは日本の文化であると発信したわけである。目の前の問題を自分たちの問題ではなく、他人事に考える傾向があるのかもしれない。日本ではテロが起きるはずがないし、ホームレスは誰かが援助してるし自分とは関係ないと信じこんでいるよう。日本への移民の数は少なく、世界的な流れに乗るどころか流れを全く知らない鎖国状態である事実がここ数年でもはや常識となってしまったが、世界的にみるとまだ経済大国なのである。 undefined自国が世界の一部であることを認識できる日はいつくるのだろうか。いつか開国することはあるのだろうか?とりあえず、自分は井の中の蛙ではなく、きっと多くの重要な経験を積むことができたんだな、ととても幸せな人生を送っている自分に拍手を送りたい。

ちなみに、日本の世界「人助けランキング」は順位最下位。 https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20191017-00147100/  
東京の駅のホームで体調崩して歩けずに震えて倒れてたら、目の前をかなり混んだ5本電車がすぎてったが誰も助けてくれなかった笑。あの時の見て見ぬふりしてるサラリーマンの顔が忘れられない。自分が家に帰れりゃいいんですよ。他人事だし関わりたくないんでしょうね、面倒に。

男の人って肉とか草食べるの?

ワシの青春を夢みた6年間IN女子校

undefined女子校と聞くと、「あはは」で「うふふ」なおしとやかなイメージがあるかもしれないが、実際は「はぁ?」「くそかよ!」で下着で廊下走ってる野蛮な女の集団である。(もしかしてワシの学校だけかも)私立中高一貫の女子校に入学したワシ、元々小学生のころは、かめはめ波打つ練習してる系男子のような存在だったが、同じ年齢の男子と いう模範的存在にかけた学校に入学したことで徐徐に「男って何」というフェーズに突入する。

進学校だったため、主に全員の興味は東大医学部進学なため勉強で毎日忙しかったが、多くの生徒の第二の趣味はアニメ等オタク文化であった。多くがアニメに精通していて、有名アニメのセリフの引用だけで会話している猛者もいた。校則は厳しいので、漫画の持ち込みは禁止されていたが、大勢が貸し借りしていた。一度ワシが友人に貸した、漫画「ピューと吹くジャガー」が先生に没収されたときは、冷や汗が止まらなかった。先生もこれ面白いと思うけど、ダメだよと注意を受けた。

どの学年にもアイドル的女学生がいて、スポーツ万能で優しくてクールでヘアスタイルが男性的だとファンクラブがあったりした。告白もあったらしい。告白と言えば、女学生が先生に告白することもよくあったらしい。全部ワシの周りにはオタクな人々ばかりいたので無縁だったけど・・・。そんなこんなで毎日強烈な印象を与えてくる自由で野蛮な女学生たちに囲まれて6年間過ごしたなかで、1回だけ、1回だけ同年代の男子と話したことがあった。

「え?何?sakeそれ気持ち悪いからやめた方がいいよ」

ショック。
ショックを超えた、無我の境地。呆然。
共学に通う女友人から発せられた言葉はワシの心に深く突き刺さった。

一度だけ体調の良いころに塾の英語の講習だけ受けたときに、クラスメートの女の子の友達の男子が近づいてきた。ワシはただ、ただ挨拶しただけだった・・・。

undefined

ワシの青春への淡い期待(妄想)は崩れ去った。
グッバイ青春




大学というサバンナに入学

6年間の女臭い女子生活は終わりを迎え、無勉強で奇跡的に受かった大学に入学。国際系の学部なので女子が多いが、サークルや部活・他学部との交流となると男子の方が圧倒的に多かった。入学当初、気持ち悪い挨拶をかましてしまった昔のトラウマが頭をよぎり、女友人を作ることに必死になった。そこであることに気づく・・。

「あれ?女子校出身の子と共学出身の子、全然違くね?見てすぐわかる・・・。」

女子校出身はかなりサバサバしているが、共学出身は話し方がとても女性的・・優しい・・・アゲハ蝶のように見える。大雑把に言えばこんなもんだが、言葉で表せないが何だか超違う!共学出身の子はいい匂いがする!もちろんワシは同じ匂いのするアゲハ蝶より蛾よりな(失礼極まりない)女子校出身と思われる友人を作っていく。「男って何食べるの?休日は何してるんだろ。何考えてるんだろね。血は赤いのかな?」「いやー。わかんね。わかんねーわさ。に、肉とか草食べるんじゃん」情報ソースが子供用の「いきものずかん」並みであった。へー、男って2本足で歩くんだ・・。

undefined大学生活が始まり、男子と話す機会が増えてきた。サークルにも二つ入った。が、数か月経ってもまだ男子と話すのが難しい。ひたすら難しい。常にどもる。あれ、おかしいなーセーラームーンプリキュアよりデジモンドラゴンボール派だったんだけど、幼少期・・。ちなみにこれが2年後オーストラリア行くまで続く・・・。オーストラリアにワーホリに行って酒の力で友達を作りまくるまで、男子と話すのが苦手すぎて何を話せばいいのか、何を話したら自然な友達になれるのか、NO IDEAでした。ワーホリ中に、男も女もどうせもう会わないし、気を遣う必要ないよねと自分をさらけ出して大口あけてガハガハ山賊のようにしていたことで、「あれ?案外別にこれで友達できるのね」とむしろ 男の親友が増えて行った。

「お前って、日本人とか女の子、とかじゃなくて、お前らしくて面白いし、子供のころから一緒にいた気分になる。楽しいわ」(/・ω・)/

あまりにフィルターを通さないし裏表がないから、よく「昔から一緒にいるみたい」と言われるようになった。そうして実際に男の人と話す経験値を得ることで、より周りの目を気にせず自分らしく生きる道を選ぶことができたのであった。大げさに感じるかもしれないが、女友人の中に小学校も私立で女子校だった子もいて、そうなると通算12年同年代の男の子と話す機会を失う。塾などに行けばいるが、学校で毎日時間を共にするのとは異なる。その子も「お父さんと先生以外男の人と話したことないよ」と言っていて、いつも「男の人と話してみたいわー。逆ナンしてみたい」と呟いていた。まぁそらそうなるでしょう。

女子校の良さ

女子校が悪いわけでは全くなく、勉強に集中できるし、多種多様な女子が集まった環境で孤立しないよう、女子の心が手に取るようにわかるようになる。女子に好かれるほど安パイなことはない。ふわふわした子もいれば、ヤンキー並みの気の強さの子もいる。委員長系もいればオタク系もいる。男の前だから、と媚びたり可愛くしたり話し方が変えなきゃ、男には勝っちゃいけない、今日はこのヘアスタイルにしよう♡ キャーー!好きな男の子と手が触れちゃった♡みたいな可愛い青春は残念ながら一片の欠片もないので、容姿など関係なく、自分の能力でヒエラルキーをのし上がっていく力を得る。大学で初めて男の人に「女子なのにそこまで勉強するの」とか「女子なんだからそんな頑張らなくていいよ」と言われて初めて男女の別の指標があることを知って困惑したが、「女子だからやめとく」といった教育を受けたことがないワシは今日も我が道を行く。

女子だからこそやってやるぜぇ

ー注意ー
筆者は日本トップクラスの超進学校に行ったから、世の中の普通の女子校と違うかもしれない・・・。世の中の女子校出身はもっといい匂いがしたかも

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